近年、柔道整復師の資格取得は男性だけではなく、女性からの人気も高まってきています。
そんな柔道整復師には実は深い歴史があります。柔道整復師の歴史やルーツについてはもちろん、「柔道」という名前がついている理由についても解説します。
柔道整復師とは?
柔道整復師とは、柔術の一つである技術を用いて整復を行なうことができる人のことです。
整復が可能な範囲や方法は、柔道整復師法によって明確に定められています。具体的には、範囲では打撲やねんざ、脱臼や骨折などの損傷部分に限られており、方法においては手術や投薬を行なわないとされています。
柔道整復師として仕事を行なうには、国家試験に合格することが絶対条件です。柔道整復師国家試験は誰でも受験できるというわけではありません。
厚生労働省が指定している条件を満たした人だけが受験することができるようになっています。
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なぜ「柔道」という名前がついているの?
日本に昔から存在している武道の一つに柔術があります。柔術にあまり詳しくない人の中には、柔術とは相手を倒すことを目的とした武道だと思っている人もいるでしょう。
しかし、柔術には「殺法」と「活法」の2種類があります。
「殺法」は、多くの人たちが「柔道」という言葉を聞いて連想する技のことです。相手を投げ飛ばしたり、抑え込んだりするすべての技のことを「殺法」と言います。
一方の「活法」とは、怪我をした人を治療する技です。特に柔術の殺法では、関節や筋肉を傷めることが多くあります。それらの怪我を治す技も柔術には存在し、その技のことを活法と言います。
時代の流れと共に柔術は柔道と接骨業の2つの道に分かれていきます。「殺法」が現在の柔道になり、「活法」は接骨業へと変わっていったのです。
一見、柔道とはまったく関係がないように見える柔道整復師ですが、その原型となっているのは現在の柔道と同じ柔術でした。関係がないどころか、柔道整復師は柔道と大いに関係があったのです。そのため、名前に「柔道」とついているというわけです。
柔道整復のルーツは戦国時代!
柔道整復のルーツは戦国時代までさかのぼります。柔道整復師の原型になっている柔術は戦国時代に生まれた古武術だからです。
戦国時代と言うと武将たちが常に戦っているところをイメージする人が多いでしょう。
しかし、当時に武術は攻撃と治療が表裏一体になっていました。自分の身を守るために相手を攻撃しますが、捉えた後は相手を治療するということも同時に行なっていたのです。
柔術も同じで、攻撃を主体とした「殺法」と治療を主体とした「活法」の2つが表裏一体として存在していました。
柔術の「殺法」で傷ついた相手を、同じ柔術の「活法」で治療したのです。
戦国時代は殺伐とした状況を思い描きがちです。しかし、武術はただ単に人を傷つけることを目的としていたわけではありません。相手を捕らえ、反省する機会を与えるという意味も込めて、同時に治療するということを行なっていたのです。
しかし、時代の流れと共に世の中は平和になっていきます。時代の変化は柔術という古武術にも大きな影響を与え、「殺法」と「活法」は2つに分かれていきました。柔道整復師はそんな柔術の中の「活法」のみが発展した施術法です。
柔道整復師の歴史
柔道整復師の大まかな事情や名前の由来などについては説明してきました。
しかし、柔道整復師の歴史はさらに掘り下げることができます。柔道整復師が歩んできたそれぞれの歴史について、さらに掘り下げて解説します。
奈良時代~江戸時代
718年に撰定された「養老律令」に「按摩官制」という項目があります。
ここには、骨や関節損傷に対して整復やマッサージなどを行なうという記述があります。奈良時代からすでに現在の柔道整復師と似たような職業が官職としてあったのです。
さらに時代を経て平安時代には、骨や関節を損傷した場合の具体的な治療法が記された医学書が存在しました。当時は「ほねつぎ」という名前で治療が行なわれていたようです。しかし、その治療費はかなり高かったらしく、治療を受けられたのは貴族などの高貴な人たちだけだったようです。
「ほねつぎ」と呼ばれる治療が一般市民にも浸透していったのは、江戸時代に入ってからでした。
西洋医学を学ぶ人たちが増えたことで、医療に携わる人たちの人数も増加していきます。また、具体的な治療法が書かれた本も多くなっていったことも関係していたようです。
明治時代~第二次世界大戦直後
柔道整復師の歴史に暗雲が立ち込め始めるのは、明治時代に入ってからです。
明治7年に「接骨業に携わることができるのは医術開業試験に合格した者のみ」という規制が行なわれます。当時、接骨業を営んでいたのは柔術家や柔道家が多く、医術開業試験を受験していた人はほとんどいませんでした。早い話が、廃業に追い込まれてしまったということです。
接骨業を営んでいた多くの柔術家や柔道家は、反対運動を始めます。この運動が最も活発化した大正9年に「柔道接骨師公認請願運動」を実施し、規制が改正されました。
しかしその一方で「接骨術という言葉の使用は認められない」とされ、「柔術接骨」という名称が「柔道整復」に変更されました。
戦後~昭和時代
戦後、日本はGHQの統制下におかれます。この時、武道と医学教育が伴っていない医療は禁止されてしまいます。
柔道整復師は武道が原型になった治療法であり、医学教育が伴っていない医療でもあります。当然、禁止対象になってしまったのです。
柔道整復師として施術に携わる人たちや、施術を必要とする人たちが一致団結し、反対運動が起こります。
この運動を受けて昭和45年に「柔道整復師法」が制定されました。
この法律の下で、全国各地に柔道整復師養成学校が設立されます。正しい知識と技術を有した柔道整復師を育成するためです。
昭和64年には柔道整復師法が改正され、それまで都道府県で実施されていた柔道整復師の資格試験が国家試験へと変更されます。正式に国家資格として認定されたのです。
~現在
平成30年から、柔道整復師が保険適用の施術を行なうには施術管理者としての資格を取得が義務付けられました。
この背景には、柔道整復師の不正請求という問題があったようです。
施術管理者になるには、定められた実務経験年数と研修を受講しなければいけません。
この2つの条件をクリアしなければ、保険適用の施術を行なうことはできず、実費扱いのみの施術に制限されます。
柔道整復師を目指す人が増える一方で、保険の不正請求も増加したため、より厳しい義務付けがされるようになったのです。今後も、柔道整復師の動向によってはさらなる法改正が行なわれるでしょう。
柔道整復師の今後
近年、柔道整復師の人数は増加傾向にあります。
それだけ柔道整復師の施術を求めている人が増えてきているということです。その背景には高齢化や女性の社会進出などが挙げられます。
高齢者の多くは腰や肩などに痛みを抱えています。痛みを抱えながら日常の生活を送ることは大変苦痛です。
その痛みを少しでも和らげるために、柔道整復師の施術を必要としているのです。
また、女性の社会進出も腰痛や肩こりの原因になっています。
履き慣れないヒールを履いたり、PCを使用した業務が多くなったりすることで、腰痛や肩こりに悩まされている女性が増加しているのです。
さらに、女性の声が大きくなることに比例して、女性の柔道整復師を求める声も高まってきています。
同性の施術者に治療をしてもらいたいという女性が増えてきているからです。また、女性ならではのきめ細やかな施術を求める高齢者の声も高まってきています。
今後、柔道整復師が生き残っていくためには、さまざまな人たちのニーズに合わせた施術を行なう必要があります。通り一遍の治療だけではなく、施術を求めている人に合った予防法のアドバイスなどができるなど、付加的なサービスも提供する必要があるでしょう。
まとめ
柔道整復師の歴史について解説してきました。その歴史は奈良時代にまでさかのぼり、時代の流れと共に翻弄されてきたという事実がありました。
そんな激動の時代を乗り越えてもなお、現在も柔道整復師としての仕事はなくなっていません。むしろ求める声は増加傾向にあります。
柔道整復師の役目は人間の痛みや苦痛に精通しています。その痛みや苦痛から人間が完全に開放されることは難しいと考えられていますから、柔道整復師の仕事がなくなることもありません。これからも、柔道整復師のさまざまな知識やスキルは末永く受け継がれていくでしょう。